
建築技師という生き方 東畑謙三との対話/創元社
「建築家」ではなく「技師」を名乗った理由
なぜ東畑謙三は、自らを「建築家」ではなく
「設計技師」「建築技師」と名乗ったのでしょうか。
戦前・戦中・戦後——激動の時代を通して、社会の求めに応じ
「建築とは何か」を問い続けた東畑謙三の生涯をまとめた本が
出版されました。
多くの建築家が、造形美を追う“美術建築”を志すなか
東畑さんは「建てる目的」や「使う人の姿」に
目を向けていました。
「依頼された建築はどうあるべきか?」
その問いに向き合い続けた結果、
あえて“建築家”ではなく、“技師”という言葉を選んだのです。
その姿勢は、実際の設計にも表れています。
例えば、戦前、紡績工場で働く女工さんのために、
日本で初めて女性用の水洗トイレを導入したのは東畑さんです。
建築を“作品”としてではなく、
人の営みを支えるものとして考えていたことがうかがえます。
わたしの大好きな、大阪駅前第1・第4ビル、旧ホリディイン南海も
同氏作だと知り、再訪。
「どんな人が使うのか」を想像しながら歩いてみると、
背景を知るだけで、街の見え方は変わります。
建築を巡るまち歩きがおもしろい!と感じる、きっかけとなりました。
「日々の暮らし」から見えるお人柄
わたしは、東畑さんの生き方をたどり、
直筆の日記やスケッチ、社内報、お孫さんからうかがった
思い出話などを手がかりに、
「日々の暮らし」の十数ページを担当しました。
規則正しい生活をモットーに、お酒、ゴルフはやらず、
休日はもっぱら庭で花づくり。
甘党でいくつになっても“バナナは高級品”というところに
親近感がわきました。
写真は東畑さんが愛した鶴屋八幡の銘菓「鶏卵素麺」です。
実際に食べてみると、素朴でやさしい甘さ。
忙しい合間の癒しだったのかもしれません。

鶴屋八幡の「鶏卵素麺」
編集者の原章さんのお声がけで「東畑謙三研究会」の
一員に加えてもらい、創業者の横顔にふれたことは貴重な経験となりました。
建築好きの人はもちろん、
これから建築業界をめざす人にぜひ読んでほしい一冊です。
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| イケフェス2024.10.27 | 東畑さんをバックに編集者・原さん |
大阪・関西万博へ。時代を越えて受け継がれる “設計技師”の精神
前身の東畑謙三建築事務所は、1932年に30歳の若さで創設。
激動の時代に事務所を立ち上げ、
建築を通して社会と向き合い続けた歩みは、
やがて大きな舞台へとつながります。
1970年の大阪万博では、
東畑さんが会場計画委員や建設顧問として参画し
日本初の万国博覧会を成功に導きました。
未来を描く祝祭の場でありながら、
「人が集い、安心して過ごせる空間をつくる」という
現実的な視点がありました。そこにもまた、“設計技師”としての
精神が息づいていたのだと思います。
2025年大阪・関西万博のシンボルと言える
「大屋根リング」の設計も同社が手がけ、建設が進んでいます。
「多様でありながら、ひとつ」のメッセージを体現する木造建造物。
いまからリングを歩くことを心待ちにしています。

イケフェス2024/東畑建築事務所にて

イケフェス2024/東畑建築事務所にて




