
建築技師という生き方 東畑謙三との対話/創元社
社会の求めに応じる建築を追求した生涯
戦前・戦中・戦後——激動の時代を通して、社会の求めに応じ
「建築とは何か」を問い続けた東畑謙三の生涯をまとめた本が
出版されました。
多くの建築家が、造形美を追う“美術建築”を志すなか
東畑さんは「建てる目的」や「使う人の姿」に目を向けていました。
「依頼された建築はどうあるべきか?」を考え、
自分のことを建築家ではなく「設計技師」や「建築技師」
と名乗っていました。
その精神は、時代を先取りした設計にも表れています。
例えば、戦前、紡績工場で働く女工さんのために、
日本で初めて女性用の水洗トイレを導入したのは東畑さんです。
わたしの大好きな、大阪駅前第1・第4ビル、旧ホリディイン南海も
同氏作だと知り、再訪。建築を巡るまち歩きがおもしろい!
と感じる、きっかけとなりました。
建築好きの人はもちろん、これから建築業界をめざす人に
ぜひ読んでほしい一冊です。
わたしは、東畑さんの生き方をたどり、
直筆の日記やスケッチ、社内報、お孫さんからうかがった
思い出話などを手がかりに、
「日々の暮らし」の十数ページを担当しました。
編集者の原章さんのお声がけで「東畑謙三研究会」の
一員に加えてもらい、創業者の横顔にふれたことは
貴重な経験となりました。この場を借りてお礼申し上げます。
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| イケフェス2024.10.27 | 東畑さんをバックに編集者・原さん |
大阪・関西万博へ。時代を越えて受け継がれる “設計技師”の精神
前身の東畑謙三建築事務所は、1932年に30歳の若さで創設。
1970年の大阪万博では、東畑さんが会場計画委員や建設顧問として参画し
日本初の万国博覧会を成功に導きました。
2025年大阪・関西万博のシンボルと言える
「大屋根リング」の設計も同社が手がけ、建設が進んでいます。
「多様でありながら、ひとつ」のメッセージを体現する木造建造物。
いまからリングを歩くことを心待ちにしています。

イケフェス2024/東畑建築事務所にて

イケフェス2024/東畑建築事務所にて




